適応指導教室のスプリングポートに娘が通った体験談を書いてみます

かんもくガール

適応指導教室とは・・・自分の思いや考えを他の人に伝えたり、集団で活動したりすることが苦手で、学校や集団生活に対する不安が強く、学校に行きたくても行けなくて悩んでいる子供たちが、さまざまな活動をとおして元気を取り戻し、学校復帰することを目的に指導・援助している場所です。

娘は適応指導教室のスプリングポートという名前の教室へ通っていました。通い始めたきっかけは、当時(娘、小学6年生)何か学校の代わりになる場所はないかとフリースクールなども含め、色々調べて見聞きした中でこのスプリングポートを見つけたところに、場面緘黙症で通院していたかかりつけ医に「少人数だし、いいかもね」とすすめられたから・・です。

この頃は学校の先生たちも校長先生を中心にとにかく学習面を心配していて娘が学校へ来れるようにと、学校復帰を目標に娘や親の私への働きかけを積極的にしてくれていました。

私も娘が学校へ行けるようになったらな・・という期待と、中学校進学が目の前だったので、やっぱり行って欲しい・・という気持ちが親としては当然ありました。

小学校の担任とも話をして、スプリングポートへ行くことを基本に、学校へ足が向くことがあればそっちへ行っても・・とどっちでも行けるような体制をとり、娘の適応指導教室への通所がはじまりました。

スプリングポートは小学校から受け入れてくれているのですが、小学生は基本親が送迎らしく・・・通うのはなかなか大変でした(-_-;)

教室は平日午後からの2時間・・私はこの頃、パートでしたが毎日仕事に出ていたので・・・唯一午前中で終わる日に合わせての通所になりました。通うには自転車か電車、バスに乗って・・でも通いにくいところで・・というか。私の体力がもうもたなくて💦

全国規模である駐車場で有名なタイムズの車をみんなでシェアしながら乗るっていうカーシェアっていうのを利用して、車で週一回娘を乗せてスプリングポートまで通っていました。けど、ほんとは車で通うのは基本ダメなんです(-_-;)

でも・・・無理なものは無理なので。黙って近くの駐車場にお金払って止めて送迎してました💦うちだけじゃなくて他にも車で送迎している親御さんいましたけど・・・色々、面倒でした💦

そして・・・スプリングポートに通い始めた娘ですが・・初めは1対1での個別対応で週1回2時間・・・男性が苦手なので女性の先生で対応して欲しいということも伝えていたので、配慮していただき、初日・・無事過ごせたようでした。

娘に「どうだった?」と聞くと、「うん、まぁいけるかな」という返事で出足はいい感じの様子(*^-^*)

しばらくそんな感じで週に1回通っていました。

適応指導教室は市が運営している施設で、市内の小中学校と連携されているので、春・夏・冬休みなどは学校に準じて同じ日に設定されていました。

夏休み直前・・・小学校と適応指導教室と両方の懇談がありました。学校の方は娘と一緒に・・・

学校では、娘も担任の先生と顔を合わせて話をしました。「1学期の終業式に来て欲しい」と言われ、ギリギリまで悩んでいましたが・・結局行けずでした💦

適応指導教室の方では、娘の教室での様子を教えていただきました。少しづつ慣れてきているようで、勉強もわからないところは「わからない」とちゃんと先生に言ってるとのこと。算数も好きみたいできちんと説明するとよく理解していると言って下さいました。

「そろそろ、週2回に増やしてみようと考えてるのですが・・」との提案があり・・とりあえず娘と話してみて、私は仕事の時間を調整することになりました。

そして夏休みに入り・・・適応教室での懇談の「通所回数を週2回に増やすこと」の話を娘としました。

あっさりと「いいよ・・大丈夫」と一つ返事でした・・ちょっと拍子抜けしましたが・・良かった(*^-^*)

私の方も仕事の調整をつけて、すぐに教室の方へ連絡。2学期から週2回の通所となりました。

2学期が始まり・・・

9月から通所、週2回です。娘は特にしんどがる様子もなく教室では個別に勉強を見てもらったり、制作や身体を動かしたり・・・というようなことをしていました。小学校の担任の先生が何度か様子を見に来てくれていて、娘と話をしたり一緒にバトミントンしたり・・してくれていたようです(*^-^*)

体調崩したり、気分が乗らない時もたまにありましたが、まあまあ順調に通っていました。

けれど・・・そのうちに私の中に親としての心配事がムクムクと湧いてきたのです💦

中学進学・・勉強の事。学校に行かなくなってから勉強量はがくんと減ってスプリングポートでの学習だけでは到底追いつきません。娘は勉強が嫌いなわけではなく、理解すれば頑張る子です。せめて、国数の基礎学力だけはつけておきたいとずっと思っていました。

親の自分は現役でもなく、学校の先生でもないので教えるなんてとんでもなくて・・(-_-;)

気が付いたら学校みたいに学習面のサポートをしっかりとしてもらえるところはないかとネットなどで探すようになっていました💦

今思えば、この頃の私はまだまだ娘の未来に大きな不安もあり、学校で勉強出来ない分どこかでそれを取り戻さないとって思ってたのだと思います。

自分自身も世間の常識、自分の今までの価値観や生き方と娘を丸ごと受け止めなきゃという気持ちの中で迷走というか色々思い悩んでたんじゃないかなって・・・だからもう、ブレブレ(-_-;)

あっち行ったりこっち行ったり、わけのわからん娘にどこがいいのか決断させたりして。

この頃、ほんとに迷走してたな~って今は思います。でも、やっぱ親ですから・・悩むし揺れますよね(;^ω^)

最終的にスプリングポートは親の私自身の学習面でのあせりや心配事が大きくなって・・また学校へ戻る為のものってところにも自分自身がもやもやしてたので(まだこの頃は自分の気持ちの芯はよくわかってなかったので、もやもや感しかなかった)辞めてしまいました(;^ω^)➡ 不登校のゴールはどこに?親としてできることは・・・

そしてこの後、フリースクールを1つ2つ転々として最終的に今の状態に至ります(^^;)➡不登校の娘の進路

適応指導教室に通っていた娘でしたが、結局学校へは戻らず(;^ω^)

あのまま通ってたらどうなってたんだろうな~とか思ったりもしますが、あんま今の状態と変わりはなかったような気もします。

娘は学校っていう大きな集団生活の場所が合わない子だったので、適応指導教室の少人数の中ではなんとかやれたとしても、場面緘黙症のままで学校生活に戻るのはすごく勇気のいる事で、難しかったんじゃないかなって・・・

不登校になった子もほんと色々なので・・・行ってみないと合うか合わないかはわからないと思います。

親の気持ちはあっても、行けるかどうかって子もいるだろうし・・難しいですね(^^;)

でも、適応指導教室っていう場所があるって事を知れたのも、そこへ短い期間でも通ったのは娘の経験になったかなって思うので・・それはそれで良かったかな(笑)

 

 

 

 

 

 

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