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プロフィール

もっとあの時こうしていれば、今よりもっと違う今(未来)になっていたかも・・・最近そう思うことがあります。

小学校3年生の時、学校への行き渋りがはじまった娘・・・5年生から本格的に不登校に・・・と同時に場面緘黙症という症状、病気、特性?があるとわかり、親の私は追い込まれているような気持ちでいっぱいだった。

当時、娘の不登校は突然、我が家に降って湧いたような出来事で・・・。ーした・うちの娘・・・なんでこーなった?」と頭の中がプチパニック起こしたのを覚えている💦

それだけ「不登校」が他人事だったのだと思う。「まさか、うちの子に限って!」です。

担任の先生が毎日のように家に来て、娘を学校へ連れ出そうと頑張ってくれていて、学校も親もとにかく娘を学校へ行かさないと!と思って行動してた。

娘の気持ちとかあんまり考えてなかったかも知れません。その方法は、今考えれば間違えてたなということがいっぱいだったけど、その時は分からない事だらけの中でも進むしかなかった💦

ほんと目の前の現実と未来に不安しかなかったので・・・・

ダメな母親だったなあと思うのです。娘の不登校をきっかけに自分の生活も変わり、ストレスも悩みも大きくなっていくばかり・・・不安だらけで・・借金も作ってしまい、自分の精神状態もいっぱいいっぱいのぎりぎりの中・・

夫との関係も、借金が発覚してから大きく崩れ、息子やペット達に負担をかける様になって💦家の中はぐちゃぐちゃで息子まで不登校になってしまいました。(息子がそうなったのは完全に親のせい、私と夫のせいだと思っています)

そこから6年・・・全ての生活を切り替えたいと決めて・・・借金の返済、夫と離婚、そして、京都への引っ越し・・・家族3人プラス犬と猫たちで6人・・・(3人+3匹)

50手前でシングルマザーになったけれど、今は、息子は学校に行くようになり、娘も徐々に一人で外に出られるようにまでなってきました。

あの頃の自分を振り返りながら、また未来にいる今の自分を見つめ直すと、まあ、あの時には想像もつかなかった様な現在(今)にいるって思う(笑)

その間に何があったのかを、お話ししたいと思います。

娘の不登校の始まり

娘が小学校3年の夏頃から、学校への行きしぶりが始まりその後は本格的に不登校へとまっしぐら。その時、私は夫に娘が学校へ行くのを嫌がっていることを言えずにいました。

今でも、なんであの時言えなかったんだろうって思います。

でも、多分その時は私も娘の行き渋りをあまり深く考えていなくて、そのうち行くようになるだろうと思っていたんだと思います。

けれど、事態は思っていたより深刻で。

娘は頑張っていたけれど、私も無理矢理にでも連れていかないとって・・・担任の先生も毎日迎えにきてくれるし、どうにかしないとって。

焦りもあるし、自分の仕事もあるしで。なかなか大変でした💦娘は夜、寝れない日が続き、朝になるとお腹が痛くなる、玄関前までは行くもののそこから身体が動かなくなってしまう。

そうこうしているうちに、担任がきた時と夫の帰宅が被ってしまい💦事情を知らない夫は先生が帰った後、怒りながら「明日は学校へ行け」と娘に、私にも「連れていかなあかんやろ」と圧をかけてきた。

まあ、そうなるだろうなとは思っていたのですが。私も必死だった。「まさかうちの子が・・・」って。

不登校の原因探しもしました。

適応指導教室にも通いました、

嫌がる娘を連れて児童精神科にも行きました、

教育相談にも通って話を聞きに行きました。

学校の心理カウンセラーの先生とも話しました、

ネットで色々調べたり、本を買って読みあさりました。

夫との話し合いも続けてきました。

娘の不登校のこと、一緒に考えて欲しかったから。

夫は初めのうちこそ話を聞いてくれたものの、すぐに結果がついてこないとわかってくると「忙しい」「仕事で疲れてる」とあまり話を聞いてくれなくなってきて・・・最終的には私に丸投げ状態でした。(なんでやねんっ!)

本当にいい加減にしてくれっ!!と娘にも夫にも思いました。

その頃からですかね・・私の中で「この人は肝心な時に逃げる」って思い、なんかすごくめんどくさくなってしまったのは。

当時私はアルバイトでしたがフルタイム勤務で働いていて・・・仕事と娘の不登校の対応に悩みながら過ごしていました。ちゃんと関わってあげられないんですよね💦じっくり時間をかけてみてあげられない。職場にも迷惑かけられない。

自分に余裕がなくなってきてイライラしてしまったり・・・ストレスが倍増してくる。仕事辞めようって思いました。

夫の協力もあんまり得られないし、自分が対応するしかない・・・当時の家計状況では、自分がパートになって収入減になるのは目に見えていたけれど。自分の家計管理があまり上手くできていない上に、仕事を変えてから目に見えて足りなくなってきて💦

借金地獄へ落ちていってしまいました💦

夫にはなかなか言えず、滞納が出たりしても嘘ついて誤魔化してばかりいました。

借金、滞納していることがバレたら夫の言葉の暴力で精神的にやられるのは目に見えていたし、自分の心も疲れていたから・・・なんか今考えるとあの頃の自分は色んな物事を正常に判断できてなかったんじゃないかなって思います。でも、自分の家計管理がなってないっていうのは当然反省すべきところではありますが💦

自分が全て悪いんだと・・・誰にも相談出来ずに1人で抱え込んでしまっていました。

そうこうしているうちに、自分が病気で手術・入院しないと行けなくなったり、色々な事が積み重なっていって・・・・借金は気づけば200万近くになっていました。

当然、借金はバレてしまい、夫の信用も失い、どんどん深みに、沼にハマっていく最悪な状態へ・・・もう、今思い出しても二度と戻りたくない日々でした。

毎月毎月、自転車操業状態の家計、ポストに督促状や支払いのハガキが来たり、ローン会社や銀行からの電話が来るたびに、もうビクビクしていました。本当に精神的に辛くて仕方なかったです。なんでこんなことになったんだろうって・・・・。もう、どん底でした💧

それに加えて、子ども達への対応がひどくなる夫、息子に八つ当たり・・・息子と娘の反発(思春期と重なる地獄・・)そして、家の中は毎日不穏な空気が流れっぱなし💦自分の精神状態もだいぶきつかった。

仕事もハードで(人手不足で休みの日も休めず)ずっと寝不足とストレスのオンパレード、動悸や眩暈が起こるようになってて、ほんと辛かったです。最後の方はもう気力でなんとか踏ん張っている状況でした。

すっとこのままなんて嫌だと思いながらもこの現状を変えられずに生きていました。

そんな時・・・

外に働きに出るのも難しいなと思ってた頃、パソコンを使って何か仕事が出来ないものかと考えていました。

そして・・・パソコンで検索しまくり・・・今となってはどんなキーワードで探してたのか忘れてしまいましたが💦

自分の人生の転機になった方達・・・・と出会います。竹川真さん千聖さんです。

私の希望の星(๑>◡<๑) 

「未来型」と名のついた教材を販売されていました。

その名は・・・・

 未来型※夢の降る道

メルマガに登録し、そこからやり取りが始まった。なんだろう・・・まだ見たことも話したこともない人達なのに妙な安心感を覚えて・・・

ある時、お二人とお会いする機会があって・・・お二人は私のネガテイブな気持ちを全面的に受け止めて下さって。

娘の不登校も引きこもりも「いーじゃんっ」って言うんです。変でしょ・・・(あ、失礼ですね💦)

当時の私は、娘の不登校問題について、学校とのやりとり、夫の説得、借金問題・・・なんだかんだと抱えながらやっていて頭では娘のことを理解していたつもりだったのですが、気持ちがなかなか追いついていけずに悶々としていた状態でした。

だけどそれと同時に、もう一人の自分は、学校からの登校を迫られる電話や、夫からの娘の不登校への理解が難しく、「学校へ行かせろ」という言葉が嫌で嫌で・・・世間一般常識の自分の価値観に「なんかおかしくない?」っていう感情の中で揺れに揺れていた頃だったので・・・この言葉にびっくりさせられたんです。

「あ、そーなんだ、今の現状、認めてあげればいいんだ」って。なんか、自分自身を受け止めてもらえたような気がしてすごく楽になった。

この力強い言葉に本当に気持ちがピシッと決まったっていうか救われたっていうかそんな感じでした。

そこで自分の意識がだいぶ変わって、そこを受け入れればいいんや、そういうふうに生きていけるんや、というのを感じました。

そして「ももやんさんが、ももやんさんらしく生きていけば娘さん達も元気に生きていけるよ」

というような言葉をもらい、それが私の人生を大きく変えるスタートになりました。

そして借金返済へ・・・

まずは借金生活から抜け出してやる!!と決めました。

借金生活から抜け出してやるって思ったのは、いい加減、夫との関係に疲れたので経済的自立をして離婚したいって思ったのと子供達と一緒に生活を立て直したいって思ったからです。

その時すでに当時の仕事を正社員で働いていたのですが、雇用契約を変更して給料が少し上がるようにしました。(ちょうど、そんな話が会社からあったので)

それから、抱えていた借金を全てA4サイズの紙(私はコピー用紙を使ってました)に書き出して、自分の給料の中からどれだけ使って返済していくかを計算しました。

そして、その分で毎月返していく借金の項目と金額をTO DOに書き起こしました。それを出来たものから線を引いて消していく。

これだけです。これを毎月毎月繰り返していきました。

その月が終わったら、必ず借金の残額を計算して、次の月の給料から差し引ける分を再度計算しながらできるだけ多めに返済していけるようにしていました。ボーナスがあったりしたので、それも借金返済に充てていきました。

もし、その月に急な出費があったり予定通りに行かなかったとしても、次の月には必ず返せるように来月のTO DOに前月達成出来なかった項目を繰り越して書いていきました。

この書いた項目と金額を達成の度に線を引いて消していくっていう作業は・・・ゲーム感覚でやっていくと面白くなっていきます(笑)

線を引いて消していくたびにスカッとしていく・・・そんな感じです(笑)なんか妙な達成感があるんですよね・・・なんなんだろ(๑>◡<๑)

それを繰り返して・・・なんとかかんとか身軽になることが出来ました!!この借金がなくなるっていうのは本当に精神安定しますね(笑)

もう督促状に、催促の電話にビクビクしなくていいし、夫の目も言葉も気にしなくていい・・・ずいぶん気持ちが楽になりました。

借金を返済したら、夫の態度は急変しました。

夫は「お金が回っていれば別に出ていく必要ないんじゃないか」と言い出します。

でもこっちにしてみればそういう問題じゃないでしょ、と。回るようになったとしても、娘のことを一緒に考えてくれるの?と。

夫は不登校の娘のことをほったらかしただけではなく、息子に対しての当たりが酷かった💦

自分の機嫌が悪いとなおさら・・・そして・・偉そうでした。

家の事一つとっても・・・息子の仕事は食器洗いと片付けに風呂掃除・・・元夫は自分が帰ってきた時に片付いていなかったら怒る。庭の草むしりが自分の思う時にしてなかったら怒る。

帰ってきた時に風呂が沸いてなかったら怒る。何から何まで自分の都合で事が進んでなければ・・・機嫌が悪かった💦

私や娘に対しての不満なんかが息子へ行く事もありました。言いやすいところへ行ったのだろう・・・

全て背負いながら、段々と息子の顔からは笑顔が消え、諦めのようなものも見られるようになっていきました。私自身もいっぱいいっぱいで息子に細やかな気配りをしてあげられないことがたくさんあった💦

色々傷つけてきたことを反省💦・・・申し訳ないという気持ちでいっぱいだった。もう、お父さんのことが嫌で大嫌いになっていった息子。お父さんの顔色を伺いながら過ごす毎日はほとんど私と同じだった・・ほんと最悪でした。

学校も休みがちになる。姉は不登校で両親は文句を言い合い、ストレスのはけ口は自分に・・・そら嫌になるよな・・・

私たち夫婦は親なのに・・・自分のことばかりで子供達のこと何にも考えていなかった💦

息子に甘えっぱなしだった。恥ずかしいです、本当に。

だからこそ離婚もして、顔色を伺わなくていい毎日に子供達が穏やかに暮らせる毎日にしていきたい・・・

でも、なかなか離婚が進まない中で、今度は会社の方がバタバタし始めて、休みなんて返上か半休ばかり・・・

そして、娘の進学もあり、転職か今の職場でさらに激務を続けるか、離婚か別居か・・・本当に揺れに揺れたまま、なかなか答えを出せずに、一歩を踏み出せずにいました。

けれど・・・そんな時ふと・・・私の人生の転機をくれた竹川さんと千聖さんの繋がりから「京都で求人があります」との一報が・・・。

これは行かなくちゃ!!なぜだかそう思って(笑)

「そうだ!!京都に行こう!!」って決めちゃいました。

そして私は・・・50手前でシングルマザーになりました。家族3人プラス犬と猫たち6人で京都に引っ越しをすることに・・・

京都へ引っ越すための家探し、娘の受験、仕事を辞めるタイミング、元夫との話し合い、色々疲れる事満載でしたが、妹たちや両親の助けもあり、なんとか無事に京都の地へ足を踏み入れることが出来ました。

引っ越してからしばらくは諸々の手続きがめちゃくちゃ大変でした(^_^;)

子供達の転入手続き、ワンコの登録変更、離婚届の提出からの戸籍関連手続き、シングルになってからの役所への諸々の申請手続き・・・などなど。

離婚したらこんなにめんどくさいんだって・・・本当げんなりしてしまうぐらい(⌒-⌒; )

みんなが言う、結婚より離婚の方が大変って言う意味、身をもって知りました💦

けれど、精神的にはとても楽になって・・・

引っ越してきた初日の夜・・・

わざわざ玄関まで行って「もう帰ってこーへん」と安心したように笑っていた息子の顔が忘れられません。

こっちへ来てからも仕事は忙しかったのですが、以前の様な無茶苦茶な働き方でもなく、休みもしっかりある。しかも、働く時間も調整してもらえて、娘のスクーリングにも付き添える様になり、家に入れる時間も増えました。

そして、息子は自分に合う学校を見つけて、少し遠いのですが毎日自転車を漕いで、学校に行く様になり、勉強も頑張るように・・・

緘黙症の娘も、一人で美容院に行けるようにまでなりました。

「今日、美容院行ってきたの?」

「行ったよ!」と髪の毛をシャララーンっと見せてくれた娘。

も〜っ!!嬉しくて!・・・冗談抜きで涙が出そうになりました。本当に。

その他にも・・・

★コンビニで買い物、支払いが出来なかった➡️1人でコンビニへ行き、支払いまで済ませられる様になる

★料理を作れなかった➡️で台所に立ち、自分の分野家族の分も調理してくれる様になる

★母の留守をずっと待ち侘びている子だった➡️母の一泊の外出でも留守番・家の事を任せられるように・・・

★何か言いたい事があっても口に出せずにいた➡️自分の気持ちや要求を言葉に出して伝えられる様になる

★ユメの散歩にははも一緒についていかないといけなかった➡️1人でも散歩できる様になる

★あまり表情がなくいつも能面みたいな顔をしていた➡️楽しい時、面白いと思った時は素直に顔に、声に出して笑う様になった

と言うふうに、徐々に変わってきて・・・

もっと早く行動に移せてたらなって思ったぐらいでした💦(人間誰しも後からそう思っちゃったりするんですよね💦)

その時の環境、色々な気持ちだったり、タイミングがあっての今だと思うのですが。

今回の経験から言える事はただ一つ・・・大事なのは自分の気持ちと行動力なんだと言う事です。

周りを変えるというよりは・・・自分の行動を変えちゃった方が待ってるよりも何倍も早く今の現状から前に進めるということだと。

自分を大事にするっていう事は自分の周りにいる家族を大事にすること・・・今とても実感しています。

今は、こんなにも大変で貴重な経験をさせてくれた?元夫に感謝です(笑)

そして、これからの未来に向けて。

今、改めて振り返って、私自身どん底の中からここまで来る事が出来たのは、話を聞いてくれる人たちの存在が大きかったなと強く思います。

娘が不登校になった上で、さらに場面緘黙症だとわかってすごくしんどかった時に、妹に助けてもらいました。ただ、話を聞いてもらって、一緒にいろんな情報を集めてもらって、病院にも行けた。

色々悩んでる時に、竹川さんや千聖さんにも話を聞いてもらって不登校でもいいんだと気持ちが楽になったり。

なので、そういう相談できる存在というのがすごく大事だよねという気持ちがあります。

お母さんはやっぱり孤立するなと。

今、私は障害児通所施設の放課後等デイサービスで働いています。そこに来られている子供達の保護者様と関わっていてもそう思います。ご夫婦で一緒に子育てされてる方もいますが、それでもお母さんの負担は大きいのではないかなと感じることは多々あります💦

それをなんとかしてあげるというのはおこがましいけれど、大丈夫だよ、1人じゃないよ、というような存在、場所、空間を作れたらいいな、と。

親御さんの状況、抱えているものはそれぞれ違うけど、でもなんかお母さんのしんどさというのは一緒で、ストレスの発散の仕方がわからない人もいて、子供と関わってて結構病気になられるお母さんも多いです。

それでも気丈に頑張っているので・・・そういうところでも何かできたらな・・・その為の活動をしていきたい、という気持ちが出てきました。

話を聞いてもらえるだけで全然違うと思います。実際、話すだけ話して、スッキリしたという人も多いし、自分もそうでした。

そういう場所があれば救われる。

だけど、カウンセリングという様な感じだと、どうしてもかしこまっちゃったりもあると思うので・・

ちょっと趣味の習い事に出かけるくらいの気軽な感覚で話せるような、そんな場を作っていけたらなと。

保育士の経験、放課後等デイサービスで障害を持つ子たちやその親御さんと関わらせてもらった経験、そして私自身の実体験も踏まえて、一緒に考えていけるような、そんな場をお届けしていきます。

また、私自身が、我が子の不登校、借金、夫との離婚を乗り越えて、人生が変わった7つのポイントを電子辞書にしました。

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