場面緘黙症のこと⑤

 

ももやんです(^^)/

日に日に暑さ増してますね(;^ω^)

今日から5月、GWの谷間の平日。わが子(息子の方)は学校へ・・。

この時期、家庭訪問なるものがあって、お昼過ぎたら帰ってくるんですよね~(-_-;)まあ、給食はあるので助かりますが・・・

かんもくガールの方は、フリースクールで・・例のごとく私は付き添いです。

朝からユメの散歩で公園を歩いてきた私の足はパンパン・・(;´・ω・)休憩する間もなくフリースクールです。

なんか・・最近・・自分の身体、大丈夫かしら?って時々心配になります(;^ω^)

まぁ、でも、睡眠と休息だけは意識しながら、これからの暑~い時期を乗り切っていきたいと思います・・。

さてさて、本題へ・・今日は、場面緘黙症のことパート⑤です!!

毎度ですが、以下、かんもくネットより引用です。

~この障害の名称について~

DSM(米国精神疾患の診断・統計マニュアル)では、1994年に診断名が”elective mutism”から”selectivr mutism”に変わりました。”elective”という言葉には、場面緘黙症児があたかも特定の場面で話さないことを「選んでいる」ような語感があり、心理学者ですらそう誤解しているような状況が広まっていたためです。自分の意思で話さないことを選んでいるわけではないことを示すために”selective”という用語が採用されました。

日本語版DMS-5では、「選択性緘黙」と表記されており、この名称が多く使われるのではないかと考えられます。しかし、「選択性緘黙」という名称が様々な誤解を招いているケースもあり、症状を適切に表現する名称について、今後も検討を要するように思われます。

「選択性」と「場面性」・・見る側の気持ち・考え方によって全然違う解釈になるんですね。この緘黙症のことを知らないゆえに、本人の気持ちを汲み取ろうとしなかったり、パッと見て関わった感じだけでは、「なんでしゃべんないんだ」「ムシしてんのか?」ってなったり、家や親しい人とだけ話してる場面を見たら「え?ここでは、この人とはこんなに話してんのに、なんで?」「もしかしてわざと?」なんてうがった見方になってしまうこともありますよね・・

実際、私も娘の症状がわからない、知らなかった時は、娘が近所の人や先生たちに挨拶もしないのを見て、「なんでムシすんの?挨拶ぐらい出来ないのか?」と常々思っていましたから・・(;’∀’)

ほんとに、こんなんじゃ、下手したら学校でいじめられたりもするって・・心配でした。

後から、緘黙症のことを知り、娘の気持ちも少しづつ知ることが出来るようになって、「あぁ、そっか・・話さないんじゃなくて、話せないんだな・・」って・・

それも社会的な場所・環境では特に不安や緊張、恐怖心が高まるから・・。

言葉一つでそのことに対する見方も理解も大きく変わる・・本当のことを知ることは、とても大切なことだと思いました。~障害か?個性か?~「障害」なのか「個性」なのか、疑問に思われる方もいます。診断を受け、「障害」ととらえると、保護者や本人がこの情報を得やすいこと、音字所帯の子供が他にいることを知り、孤立せずに経験を分かち合えること、幼稚園・保育園や学校の理解を得て、必要な「支援を受けやすいこと、など役立つ点があります。

一方、「障害」ということで周囲の大人が悲観的になったり、状況を固定的に「とらえたりすることは、子どもの不安をあおり、寺院を失わせることにつながります。正しい理解を持ち、改善への見通しのもとに、安心して楽しい時間を多く持ち、自信を積み重ねていくことが、大きな成果をもたらします。

「障害」か「個性」か・・よく「障害」はその人の「個性」と言われるのを聞きます。私はその考え方もありだとは思います。ただ、今、この自分たちが生きている社会の中ではなかなか「個性」にはなりにくく・・やっぱり「障害」になっちゃうんだろうなと思います。

それは、私の娘の様な人たちは、この社会の中では少数派だから・・・。

その人の持っている「障害」のみにスポットが当てられて、その「障害」って部分だけでくくられてしまうから、その人の性格とか考え方とか中身の部分まで見えなくなってる・・見ようとする人も少ない・・

多数派の健常者と言われる人からの社会・・だから、少数派にとっては不便なことが多く、生きづらい・・。んじゃないかなあ・・と私は感じています。・・・

その人の持つ「障害」と呼ばれるものへの支援や理解が深まり、広まれば、「障害」と呼ばれるものを含めたその人の「個性」がきちんと見えてくるんじゃないかなと・・。

少し前に、いつもランチする妹と・・日本には長らく日本人しかいなかったから、他民族、他のものを受け入れる土壌が育ってないと・・いう話になりました。

欧米諸国など、多民族共存社会では、自分との違いを受け入れる許容範囲が広い・・と。確かにそうですよね・・。緘黙症の研究などにしても、アメリカからのものが多いし、日本はまだまだって感じがあります。

今回、娘の緘黙症を通して、親である自分自身が本当にいろんな感情を知り、事実を知りました。まだ、知らない人達にもこのことを知らせたいなと思うし、自分ももっともっと柔軟な心を持って、他者を受け入れる許容範囲を広げていきたいなと思います(*^-^*)

 

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